ドラム日記:
イアン・ローガン

密造業者の蒸留装置を建て200年前と同じようにウイスキーを造ってみました

椅子を引き寄せて、暖かいドラムを注いで、くつろいで、ザ・グレンリベットのインターナショナル・ブランド・アンバサダーであるイアン・ローガンと話をしましょう。

誰でも皆、最も新しく、最も大きく、最も速くありたいと思います。しかし数年前、前任のマスターディスティラーであったジム・クライルと私は次のように考えました。「ちょっと待てよ、我々の出発点に戻ってみよう。」われわれの創始者ジョージ・スミスが200年前、認可を受ける前にウイスキーを造ったように、どのようにしてウイスキーを造れるだろうか。

私たちは二人とも、遺産と蒸留業の発展を理解することが重要であると感じました。また、2世紀前のウイスキーはどのような味がしたのかに強い関心を惹かれました。どれぐらい強かったのだろうか。今と同じような複雑なフレーバーがあったのだろうか。現在のザ・グレンリベットで我々が知っていて愛しているすべての特徴を持っていたのだろうか。これらの質問に答えを出すのと同じくらいに、実験してみるのが楽しそうだ。

それで、2006年9月の明るく日が照る日に、私たちは、蒸留所の裏の並木の下にスマグラーズ・スチル(密造業者の蒸留器)を据え付けました。興奮と少しばかりの不安の中で、芝生のレンガの暖炉を建て、その上に1メーターの高さの銅製の蒸留器を置きました。蒸留器の下に木で火をおこし、次の数時間は石炭で、蒸留器も魔法のように動いてくれるようにしました。

凝縮装置には、半分の樽の中で、コイルされた銅製チューブを使用、道具は私たちの手だけでした。温度計は使わず、銅製蒸留器の熱は、それがやかんのように泡立つ音が聞こえるまで、触って測りました。外に居たので、天候が不安でした。雨や雪が降ったら、やりにくかったかと思います。蒸留器の下の熱を適度に緩やかに保って、蒸留がスムーズに続くことを確実に行いました。

冷却については、ジョージーの湧水の新鮮な水を使用しました。この自然の水源のそばに、私たちの創始者であるジョージ・スミスは、ザ・グレンリベットの蒸留所を特別に設置しました。それがジョージ・スミスにとって十分なものであったなら、私たちにとっても十分良いものです。湧水は5〜8℃の定温であるため、スピリッツを冷却するには申し分ありません。

液体比重計なしに、私たちはスピリッツのカット・ポイントを純粋に味によって見きわめなければなりませんでした。新しいスピリッツが蒸留器から受液槽に流れる時に、すすって行いましたが、簡単なことではありませんでした。

蒸留が終わった後、アラン・ウインチェスターの前任者で、1996年から2008年までザ・グレンリベットのマスターディスティラーであったジム・クライルは、200年前のサイズつまりポニーの背中で密造業者の行路を輸送するのに十分な小型のサイズに特別に作られた樽にスピリッツを入れました。スコットランドのハイランドのポニーは、素晴らしく強くて信頼できましたが、スコットランド人がそう言われるのと同じように、ほんの少し気難しくて頑固でした。

小型サイズの蒸留器は、スピリッツの品質に大きな影響を及ぼします。そして私たちの地域は、最高級のウイスキーを有しているという名声を獲得しました。石炭の火によって、蒸留器もゆっくりと動き、品質を改善しています。

それで、どんな味なのでしょうか。普通より熱くてスパイシーで、アルコール強度がずっと高くて60度台半ばです。ザ・グレンリベットが授かっているヘビーに仕上げられているフルーティな特徴は依然としてあります。何を期待するかはよく分かりませんが、本質を味わうことができるのは、本当に素晴らしい驚きです。1800年代には、新しく造られたスピリッツは、熟成されることなしに、蒸留器からほとんど直接に飲まれていたことでしょう。従って私たちの樽詰めされて造られたものは、ずっと良く精製されたフレーバーの効いたスピリッツです。それは決して最高のウイスキーではありませんが、私たちが学んだことは、2世紀前のアルコール飲料は、かなり異なる飲み物だったということです。それでも、過去を調べるのは素晴らしいことです。

ウイスキーについての偉大な事柄の一つは、学ぶべき新しい何かは常にあるということです。私たちが最初に密造業者の蒸留器を設置した時、ジム・クライルは既に40年間、ウイスキー業界に居ましたが、もっと知りたいという好奇心を依然として持っていました。私たちが学んだことは、ウイスキーを保守的な方法で造った蒸留者たちの努力に対する新しく発見した尊敬でした。

この貴重な歴史の流れと今後どう関わっていくかを決定しなければなりません。